つれづれみちづれ

大概毒。突然語り出す可能性

音楽は永遠ではない

音楽は永遠ではないなあ、と思うことが増えた。

多分三、四年前の話だけど、私は、いい音楽は永遠に残ると、(私的に)いい音楽を聞きながら信じていた。

一部のオタクと女性SSW好きしか知らないような音楽だった。

今思えば、とんだ過信だと思う。でも私は信じたかった。自分の好きは世界の好きだと、私が好きなものを世界も受け入れてくれると。

我ながら気持ち悪いなと思う。

でも当時私は信じていた。

多分本当は早い段階でその魔法は解けていたんだろう、信じたいという感情だけで長い間疑念を封じ込めていたんだろう、そう今になって思う。

 

キッカケは忘れてしまったけれど、いい音楽も永遠じゃないと気づくタイミングがあった。

 

あんなに素晴らしい音楽でも、多分、きっと、永遠ではない。

 

その事実は私を随分苦しめた。

気づいてからは何気ない人の評価にも過敏に反応してしまうようになった。きっと周りの人も見るに堪えないと思っていただろう。

 

 

けれど、私はその音楽は誰かの永遠にはなったことを知っている。

誰かが死ぬ間際まで追い続けた音楽だと、知っている。だからそれでいい。

 

会った最後の日から、だいたい一年になる。

だから、思い出したようにこのブログを書いてる。

最後に会った日から一年ぐらい経つ。というか、もしかすると一年はもう過ぎてるかもしれない。あやふや。

まあ最後に会ったライブの日以降どうも都合が合わなくて、私はライブに行けなくて、でもその人のライブならどこへでも行くようなお姉さんだったので、またきっとどこかで会えるだろうと思っていた。私は、お姉さんに良くしてもらってて、「〇〇(私の音楽系アカウントの名前)ちゃん!」ってよく呼んでもらって、グッズの代行やら何やらいろいろしてもらってた。でも、私はお姉さんのことをなにも知らなかった。好きな声優が同じぐらいしか知らなかった。

徐々にTwitterの投稿が減って、というか途中で全部消して、アカウントを二つ知ってたけどどちらも動かなくなって、ある日にアイコンが真っ黒になってた。メンタルがヤバいのかも知れないなって思った。助けてあげたいと思ったけど私は未成年で、酒豪だったお姉さんにお酒飲みに行きましょうとか言えなかったから、いつか呟いてくれるのを待っていた。

 

二度と呟かなかった。

 

そのお姉さんは、御病気でお亡くなりになっていた。

ギリギリまでライブに足を運んでいたから一層誰も分からなかったみたいだけど、元々持病があったらしくて、それが原因でお亡くなりになった。朗らかで、優しくて、でも芯があって、美しくて、波長の合ういいお姉さんだったから、私は今でもその人のことを思い出すと泣いてしまう。

 

お姉さんは結構ギリギリまでライブに足を運んでいたように思う。

亡くなられる間際もきっと、あの音楽を追い続けただろう。だから私は、その女性SSWの曲が お姉さんの永遠にはなったと信じている。信じたいだけかも知れない。

 

 

音楽は、永遠ではない。音楽を再生するために必要な音楽プレーヤーも、私のためだけの音楽の世界を作り出してくれるイヤホンも、データ化された音楽も、壊れる。CDも、割れる。

もし、何百年もいい音楽が残ったとして、その音楽の新鮮さは失われている。私たちの知っている音楽ではない。私たちが何度も音楽を消費する楽しさは、その年齢、気分にマッチするからだ。もしくは、その年齢、気分に憧れているからだ。その音楽がマッチしなくなったら、憧れじゃなくなったら、多分自分のお気に入りの解釈ごと、音楽は死ぬ。

そもそも一般人なんて音楽を聞くことにそんな大層な意味を感じているのか、と聞かれると多分それはないよなあと思う。音楽を聞くことに大層な意味を感じているのは、いい意味で気持ち悪い人たちだけだ。音楽に縋るような、愛すべき一人ぼっちだけだ。音楽に共感するような恥ずかしい一人ぼっちだけが、いい音楽が永遠か永遠じゃないか知りたがる。私みたいなやつが。

いい音楽はみんなの永遠にはなれない。でも、私の中の永遠にはなってほしい。私は死ぬ間際まで追い続けたい。

 

そんなことを思いながら、今日も歌を聞いている。

 

最後に、そのSSWを紹介して去ろうと思う(ちょうど今日動画がアップされたので)。

いい音楽を作る人だから、聞いてみてほしい。あわよくばライブに行ってみてほしい。